JR名古屋タカシマヤ 10階特設会場にて。

新美南吉生誕100年 ごんぎつねの世界

新美南吉生誕100年 ごんぎつねの世界

パンフレット。

新美南吉生誕100年 ごんぎつねの世界

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新美南吉生誕100年 ごんぎつねの世界

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500円から100円割引。400円で入場。
新美南吉生誕100年 ごんぎつねの世界

雑感などをいくつか。

  • 最終日のもうそろそろクローズな時間だったのにけっこう混んでた。人にぶつかりそうになるレベル
  • 色鉛筆で描かれた絵が綺麗だった
  • 「手ぶくろを買いに」の狐の母子の絵を見てちょっとうるっときた
  • 年表を見て、家庭の事情で祖母と暮らしたけど上手くいかなかった話とか印象に残る
  • 教科書に載ってる「ごんぎつね」は誰かが手を入れたものらしい。オリジナルは方言が入ってたりするとか。読んでみたい

参考資料あれこれ。

1913年~1943年。愛知県半田市岩滑(やなべ)出身。
小学校の教科書に、現在も採録されている「ごんぎつね」の作者として有名であるが、29歳で夭折したため、遺された作品は多くない。
他に「おじいさんのランプ」・「手袋を買いに」・「牛をつないだ椿の木」など。
地元、半田市には作品ゆかりの地も多く出生地には新美南吉記念館がある。
記念館の近くには「ごん」が兵十のうなぎを奪った舞台となった「矢勝川」がある。
また「日本のアンデルセン」という異名を持つ。

新美南吉とは - はてなキーワード
雑誌『赤い鳥』出身の作家の一人であり、彼の代表作『ごん狐』(1932年)はこの雑誌に掲載されたのが初出。結核により29歳の若さで亡くなったため、作品数は多くない。童話の他に童謡、詩、短歌、俳句や戯曲も残した。彼の生前から発表の機会を多く提供していた友人の巽聖歌は、南吉の死後もその作品を広める努力をした。

地方で教師を務め若くして亡くなった童話作家という共通点から宮沢賢治との比較で語られることも多い。賢治が独特の宗教観・宇宙観で人を客体化して時にシニカルな筆致で語るのに対し、南吉はあくまでも人から視た主観的・情緒的な視線で自分の周囲の生活の中から拾い上げた素朴なエピソードを脚色したり膨らませた味わい深い作風で、「北の賢治、南の南吉」と呼ばれ好対照をなしている。 作品の多くは、故郷である半田市岩滑新田(やなべしんでん)を舞台としたものであり、特に少年達が主人公となる作品では、「久助君」「森医院の徳一君」等、同じ学校の同じ学年を舞台としたものが多い。(主人公は「久助君」「大作君」など作品によって変わるが、「徳一君」や「兵太郎君」などはほとんどの話に登場して世界観をつなげる役目を果たしている。)

新美南吉 - Wikipedia
 生誕100年を来年迎える半田市出身の童話作家・新美南吉(1913〜43)の足跡をたどる「新美南吉生誕100年 ごんぎつねの世界」展(毎日新聞社など主催)が26日、名古屋市中村区名駅のジェイアール名古屋タカシマヤ10階特設会場で開幕する。南吉直筆の原稿や愛用品などの貴重な資料のほか、南吉文学を描いた画家の挿絵原画を展示し、29年の生涯を振り返る。

 会場では代表作「ごんぎつね」の草稿や「でんでんむしのかなしみ」の原稿、日記、手紙などの資料約100点と、棟方志功ら新旧12人の画家の挿絵原画約90点を紹介する。直筆原稿など多くの資料は新美南吉記念館(半田市)の所蔵で、さらに、背広や印鑑など同記念館で普段は展示していない資料も特別に公開する。

 同記念館の遠山光嗣学芸員は「南吉は幼いころに母を亡くし、養子に出され、大人になっても病弱で孤独な人だったが、多くの人たちに助けられた。今回の展示では手紙などの資料を公開し、支えてくれた人たちとの交流の様子が感じられる内容になっている」と話す。

 26日午前11時から、記念館学芸員によるギャラリートークが行われ、南吉童話のイメージキャラクター「ごん吉くん」も来場する。26、29、30日は「語りと手まわしオルガニート演奏会」、1月4〜6日は読み聞かせボランティア「きりんの会」が紙芝居を上演する。

新美南吉:企画展・生誕100年記念 「ごんぎつね」草稿など資料100点−−26日から名古屋で /愛知- 毎日jp(毎日新聞)
●全国巡回展「新美南吉生誕100年 ごんぎつねの世界」がいよいよ愛知県に来ます!(2012.12.26~2013.1.7)

4月の丹波市立植野記念美術館(兵庫県)に始まり、堺市東文化会館(大阪府堺市)、北海道立文学館(北海道札幌市)と回ってきた新美南吉生誕100年巡回展がいよいよ愛知県に来ます。イベントも行いますのでぜひご来場ください。
期間 2012年12月26日(水)~2013年1月7日(月)
    ※1月1日は休業日
時間 10時~19時30分(閉場20時)
    ※最終日は16時30分まで(閉場17時)
会場 ジェイアール名古屋タカシマヤ 10階特設会場
入場料 一般500円(400円)、大学・高校生300円(200円)、中学生以下無料
     ※(  )内は前売り及び10名様以上の団体割引料金
主催 半田市、半田市教育委員会、毎日新聞社、NHKプラネット中部
後援 愛知県教育委員会、名古屋市教育委員会

新美南吉記念館ホームページ - ニュース
「ごん狐」の草稿(「権狐」)
 通称スパルタノートと呼ばれているノートに書かれています。題名下のメモにあるように、これを清書して『赤い鳥』に投稿しました。
 清書をする段階でどこまで手直しがされたかは清書稿が現存しないため不明です。しかし、掲載された「ごん狐」との間に見られる異同の多くは、『赤い鳥』主宰者の鈴木三重吉による書き換えだといわれています。
 三重吉は『赤い鳥』に送られてきた他人の原稿に躊躇なく手を入れることで有名でした。当時、すでに名を成していた芥川龍之介の「蜘蛛の糸」にもペンを入れたことはよく知られています。当時、無名の文学青年だった南吉の作品も当然のように直されています。
(中略)
 しかし、鰯売りの掛け声が方言の「鰯のだらやすー。」から標準語の「いわしのやすうりだァい。」に直されてしまったのは、南吉文学の特徴のひとつが郷土性にあることを思うと、残念な思いがします。

新美南吉記念館ホームページ - もっと知りたい!南吉童話の世界 - ごん狐
手元に、『新編新美南吉代表作集』(半田市教育委員会編集発行)がある。平成6年発行とある。その頃に、南吉記念館で購入したものだ。中に、南吉自筆の「権狐」が掲載されていた。「ノートに書いた草稿」。「鈴木三重吉が添削したものと考えられる」という解説も入っていた。読みにくいこともあり、しっかり見ないままだった。

教育zine>教育オピニオン>今こそ読みたい南吉原作の「ごんぎつね」 ~生誕100年を前に
『赤い鳥』掲載時に、鈴木三重吉は南吉の原稿を大幅に手直ししました。もともとのタイトル「権狐」が「ごんぎつね」と改められ、一部がカットされたほか、すべて置き換えられた言葉もあります(巻末には南吉オリジナルの原稿と三重吉が添削した『赤い鳥』所収の『ごん狐』が並べて掲載されています)。
それは物語の解釈に影響を与えるレベルの手直しであり、そのため『ごんぎつね』は新美南吉と鈴木三重吉の合作という見方さえあるほどなのです。

(中略)

国語の教科書はその国民の精神風土を如実に反映します。日本の教科書では「親の病気、戦争、主人公の死」といったシリアスなテーマの作品が約一割を占める一方、アメリカの教科書ではそういった題材は少ないとのこと。
開拓者精神を尊び、困難な状況と対決しながら生きていこうとする主人公の姿が描かれるアメリカの話に対し、耐え忍ぶことや自己犠牲をよしとする日本人の精神性がそこによく表れているという指摘には納得させられます。たしかに、ペシミスティックで情緒的、自己犠牲的な『ごんぎつね』は非常に日本的な物語だと言えますね。

『赤い鳥』の編集にも携わった児童文学者で詩人の与田準一は、『ごんぎつね』の主題を「生きるものおたがいの、しかしその生存所属を異にするもの同士の、流通共鳴」だと述べています。
実際には、「同じひとりぼっち同士」として兵十にシンパシーを覚えるごんに対し、兵十にとってごんはただの狐に過ぎず、一方通行な思いは悲しい結末を導いてしまいます。
このすれ違いに、わかりあえそうでいてあとちょっとのところでわかりあえない、人と動物の関係性を感じます。

『「ごんぎつね」をめぐる謎』  - 動物愛護を本気で考える
この物語の主人公「ごんぎつね」は、「子ぎつね」でしょうか。それとも「小ぎつね」でしょうか。南吉が書いた原稿や鈴木三重吉が手を加えた作品には「子ぎつね」と書いてあります。ところが流布本の多くは「小ぎつね」となっています。
(中略)
南吉は、四歳の時、実母を失った。間もなく父は再婚。南吉が八歳の時継母に弟が生まれた。このため、南吉は実母の実家に養子にやられた。実家といっても、南吉の母の継母に当たる祖母がいただけである。この人は夫や息子に死に別れ、嫁に出て行かれて、寂しさの中に一人で生きてきた人だけに冷たい人だったらしく、南吉の心を暖めてくれることをしなかった。このような少年時代を送った南吉の実母を慕う気持ちが、作品の中ににじみ出ていると言われる。

ごんぎつね
南吉童話には残酷な場面はほとんど見られません。死や殺戮という人間の宿命に向き合わざるを得ない賢治童話との大きな違いです。もちろん、南吉童話にも「ごんぎつね」にも文学特有の「毒」はあります。大塚氏も言うように、「ごんぎつね」は、「作品中に何ら問題の解決が見出せない」という点で不条理で絶望的な話かもしれません。実際、ごんの死を受け入れられない子どももいます。ごんが死なないように、教科書本文が改竄されたという歴史もあります。

2007年記事 6月10日(日) 世界新教育学会主催WEF国際教育フォーラム(白百合女子大学)

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Posted by NI-Lab. (@nilab)