吉五郎 (きちごろう) 親子の像は、名鉄小牧駅のすぐ近く (あるいは小牧駅の敷地内?) の橋の上にあるキツネの親子の像。
⇒ nilog: 吉五郎親子の像 in 小牧市 http://t.co/LKNFMFXZ9p #チズカメラ (2013-06-10)
像の横にはこう記されている。
吉五郎とは小牧に古くから数多く語り継がれている伝説で、小牧山に住み指導者として尾北一円をおさめ子供をたいへんにかわいがったと言われるキツネです。また小牧山中腹にある小牧山稲荷神社(吉五郎神社)にまつられております。
この像は小牧山を見つめる吉五郎とそれを慕うように見上げる子供が表現されており、市民の皆様に広く愛され郷土小牧の文化に関心を寄せていただく一助となる事を願い寄贈するものです。
『小牧山吉五郎』といえば、遠い昔から郷土小牧・尾張を代表する名伝説です。その発祥は約三百年前の寛永年間と伝わる。最も盛んに俗間に宣伝されたは、寛暦・天明の時代とか。その史実は鷹木村(現・春日井市)の某旧家に『老狐山吉(吉五郎のこと)』という書物が残りなど、又、本小牧旧本陣記録に『お梅・お初の初恋の棚 』という部分がある。元禄年間、小牧の旭の里に津田房勝という文人が『正事記』の中にも、小牧に人間の意のままの振る舞いを成すという白狐・吉五郎らしい狐が住んでいる記録が残っている。
小牧山吉五郎伝説: 吉五郎太鼓保存会
◎吉五郎伝説
小牧山に、吉五郎という狐が住んでいました。子分は200匹もいて、この地方の狐の親分でした。この吉五郎の伝説は、江戸時代につくられて広まりました。吉五郎がお梅という美女の狐をめぐって、東九郎という美男の狐と争うお話です。この伝説のもとになった本は見つかっていませんが、いくつかの話を合わせているようです。津田応助という人が、この話を『伝説老孤小牧山吉五郎』という本にまとめて、現在に伝わっています。
◎あらすじ
東九郎の恋人お梅をうばった吉五郎は、やがて若いお初という狐も好きになります。恨んだお梅は東九郎と相談し、吉五郎を毒殺しようとしますが、吉五郎に恩義のある天狗がその計画を知り、吉五郎に伝え、ばれてしまいます。怒った吉五郎はお梅・東九郎と決闘しますが、お梅に切りつけられ逃げ帰ります。仕返ししようとお梅の家をおそった時は、東九郎と逃げたあとでした。そんな騒動を起こした吉五郎も、その後はお初とおだやかに暮らしたそうです。
◎その後の吉五郎伝説
明治43年の冬、ある青年が吉五郎と思われる狐を銃でしとめました。剥製にして自慢していたところ、伝え聞いたお初とその子四匹が、青年の家の雨戸をたたき、「せめて皮だけでも返してほしい」と頼んだということです。
◎吉五郎稲荷
小牧山の大手道(南側の登り口)を少しのぼったところに、吉五郎稲荷があります。これは昭和11年に、小牧山の吉五郎にちなんで建てられ、五穀豊穣、商売繁盛、子孫繁栄などのご利益があるとされています。
◎いたずらが大好きな吉五郎
吉五郎の得意技は、美しい女の人に化けることでした。村人のごちそうを取ったり、肥だめをお風呂とだましたり、葉っぱの切符で電車に乗ったり、いたずらばかりしていました。
小牧市立としょかん子ども郷土しりょう その3 吉五郎狐 (201303.pdf)
電車に乗った吉五郎
昭和初期のお話しです。当時は小牧と岩倉を結ぶ電車がありましたが、岩倉行きの終電車によく若い女の人が乗りました。その女の人は、岩倉に着いても降りないでそのまま小牧に戻ってきて、小木で下車しました。当時、売上のお金の中によく木の葉が混じっていたので、あれは吉五郎ではないかと評判になりました。
その後、岩倉でキツネが電車にひかれて死んだ事故があり、それ以降はこの女の人は現れなくなりました。
(小牧叢書1「小牧の昔話」)
小牧探検隊
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Ref.
- 吉五郎親子の像の情報だよ! | ロケタッチ
- 国立国会図書館デジタル化資料 - 伝説老狐小牧山吉五郎
- 市の人びとのくらしのうつりかわり 小牧市につたわる昔話 むすめに化けた吉五郎
- 小牧探検隊
- 小牧市立としょかん子ども郷土しりょう その3 吉五郎狐 (201303.pdf)
- 小牧山吉五郎伝説: 吉五郎太鼓保存会
lat: 35.2894237, lon: 136.927158
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住所: 愛知県小牧市中央1丁目
tags: komaki
Posted by NI-Lab. (@nilab)