きょうの夕食。
元祖手羽先唐揚とか元祖手羽元唐揚とか砂肝とかどてもつ煮とか食べた。

住所: 愛知県名古屋市千種区本山町4-69 アビタシオン本山1F

ちなみに、世界の山ちゃんの手羽先は風来坊を真似した後に独自の味付けをしたと山ちゃんの社長がTVで言っていた。山ちゃんの手羽先は風来坊と比べて、手羽が開いている形になっていたり、ちょっと辛めだったり。

現在80店舗以上になる風来坊のお店は、いわゆるフランチャイズ方式ではありません。本物の風来坊の味をご提供できると認められた者だけに出店が許される、「暖簾分け」にこだわります。

名古屋名物・元祖手羽先唐揚げ/風来坊 - 風来坊のこだわり
昭和38年、一人の男が北九州小倉から名古屋にやって来た。大坪健庫、昭和4年生まれ九州男児である。この男の手によって「手羽先」物語が始まる。翌39年、東京オリンピックが開催され、東海道新幹線が東京・大阪間を3時間で結び、日本列島が大きく一歩を踏み出した頃である。

「風来坊」の一歩もこの時始まった。大坪はかつて、北九州市門司で妻・淑子と2人で小さな店を営んでいた。10人も座れば満席というほどの店である。ここで客に請われるまま、メニューにない鶏の唐揚げを出したところ大いに喜ばれた。その時、彼の脳裏にひらめくものがあった。

唐揚げにタレをつける――ただそれだけのことだが、この発想が後に、爆発的な人気を呼ぶ「手羽先の唐揚げ」を生むことになる。唐揚げに独特の香味を醸す絶妙のブレンダー。その“タレ”を、どうやって創り上げるか、それが大坪のテーマとなった。彼は、仕事の合間をぬうようにして、広島、大阪へと、味を求めて各地に足を伸ばした。「どうしたら、旨いタレができるか」―
納得できる味を求めてどこへでも行き、研究を重ねていった。それは、「ターザン焼き」として実を結んだ。若鶏の半身をそのまま揚げて焼くダイナミックな料理で、それに熟成して生み出した秘伝のタレをつけ、各種の調味料で味をととのえる。

大坪の求める味が、ここで一つの完成を見た。この時点ではまだ、手羽先との出会いはないものの、その未来が誕生したといっていい。鶏料理の本場といわれる九州で磨いたこのタレを身につけ、名古屋にやってきた大坪は、熱田区比々野に記念すべき第1号店を開いた。この店で空前のヒット商品となる「手羽先の唐揚げ」が生まれ、後に各地へと展開してゆく「風来坊」のファミリーチェーンを担う、彼の愛弟子が育つことになる。

名古屋名物・元祖手羽先唐揚げ/風来坊 - 手羽先唐揚の誕生

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-名古屋名物・元祖手羽先唐揚げ/風来坊
-名古屋名物・元祖手羽先唐揚げ/風来坊 - 手羽先の食べ方

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Posted by NI-Lab. (@nilab)