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「阿部定事件(あべさだじけん)は、仲居であった阿部定が1936年(昭和11年)5月18日に東京市荒川区尾久の待合で、愛人の男性を絞殺し、局部を切り取った事件」 「阿部定は、名古屋の小料理屋で働いていた1935年4月頃、客で来た大宮五郎と交際するようになった。初めは実名や身分を隠していたが、中京商業学校の校長で名古屋市会議員であった」 「1936年(昭和11年)12月21日、東京刑事地方裁判所は定は殺人および死体損壊罪で懲役6年の判決(求刑10年)(未決通算120日)の判決を受け服役」 「1940年(昭和15年)に「紀元二千六百年」の恩赦で残りの刑期が1/2に減刑され、翌1941年(昭和16年)5月17日に出所した。釈放後、定は名前を変え一般人として生活していた」 「埼玉県でサラリーマンの男性と結婚をしていたが(未入籍のため事実婚)、男性が自分の妻が阿部定だと知ったことが原因で破局」 「阿部定事件以前にも局部切断事件はあったが、阿部定以降、1982(昭和57)年までに陰茎の切断事件は51件を数えた」 阿部定事件 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/阿部定事件
[Fedibird] 2026-04-04 20:06:53
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