夏目漱石「こころ」 - 48ページ


 遺憾《いかん》ながら私は今その談判の顛末《てんまつ》を詳しくここに書く事のできないほど先を急いでいます。実をいうと、私はこれより以上に、もっと大事なものを控えているのです。私のペンは早くからそこへ辿《たど》りつきたがっているのを、漸《やっ》との事で抑えつけているくらいです。あなたに会って静かに話す機会を永久に失った私は、筆を執《と》る術《すべ》に慣れないばかりでなく、貴《たっと》い時間を惜《おし》むという意味からして、書きたい事も省かなければなりません。
 あなたはまだ覚えているでしょう、私がいつかあなたに、造り付けの悪人が世の中にいるものではないといった事を。多くの善人がいざという場合に突然悪人になるのだから油断してはいけないといった事を。あの時あなたは私に昂奮《こうふん》していると注意してくれました。そうしてどんな場合に、善人が悪人に変化するのかと尋ねました。私がただ一口《ひとくち》金と答えた時、あなたは不満な顔をしました。私はあなたの不満な顔をよく記憶しています。私は今あなたの前に打ち明けるが、私はあの時この叔父の事を考えていたのです。普通のものが金を見て急に悪人になる例として、世の中に信用するに足るものが存在し得ない例として、憎悪《ぞうお》と共に私はこの叔父を考えていたのです。私の答えは、思想界の奥へ突き進んで行こうとするあなたに取って物足りなかったかも知れません、陳腐《ちんぷ》だったかも知れません。けれども私にはあれが生きた答えでした。現に私は昂奮していたではありませんか。私は冷《ひや》やかな頭で新しい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べる方が生きていると信じています。血の力で体《たい》が動くからです。言葉が空気に波動を伝えるばかりでなく、もっと強い物にもっと強く働き掛ける事ができるからです。

     九

「一口《ひとくち》でいうと、叔父は私《わたくし》の財産を胡魔化《ごまか》したのです。事は私が東京へ出ている三年の間に容易《たやす》く行われたのです。すべてを叔父|任《まか》せにして平気でいた私は、世間的にいえば本当の馬鹿でした。世間的以上の見地から評すれば、あるいは純なる尊《たっと》い男とでもいえましょうか。私はその時の己《おの》れを顧みて、なぜもっと人が悪く生れて来なかったかと思うと、正直過ぎた自分が口惜《くや》しくって堪《たま》りません。しかしまたどうかして、もう一度ああいう生れたままの姿に立ち帰って生きて見たいという心持も起るのです。記憶して下さい、あなたの知っている私は塵《ちり》に汚れた後《あと》の私です。きたなくなった年数の多いものを先輩と呼ぶならば、私はたしかにあなたより先輩でしょう。
 もし私が叔父の希望通り叔父の娘と結婚したならば、その結果は物質的に私に取って有利なものでしたろうか。これは考えるまでもない事と思います。叔父《おじ》は策略で娘を私に押し付けようとしたのです。好意的に両家の便宜を計るというよりも、ずっと下卑《げび》た利害心に駆られて、結婚問題を私に向けたのです。私は従妹《いとこ》を愛していないだけで、嫌ってはいなかったのですが、後から考えてみると、それを断ったのが私には多少の愉快になると思います。胡魔化《ごまか》されるのはどっちにしても同じでしょうけれども、載《の》せられ方からいえば、従妹を貰《もら》わない方が、向うの思い通りにならないという点から見て、少しは私の我《が》が通った事になるのですから。しかしそれはほとんど問題とするに足りない些細《ささい》な事柄です。ことに関係のないあなたにいわせたら、さぞ馬鹿気《ばかげ》た意地に見えるでしょう。
 私と叔父の間に他《た》の親戚《しんせき》のものがはいりました。その親戚のものも私はまるで信用していませんでした。信用しないばかりでなく、むしろ敵視していました。私は叔父が私を欺《あざむ》いたと覚《さと》ると共に、他《ほか》のものも必ず自分を欺くに違いないと思い詰めました。父があれだけ賞《ほ》め抜いていた叔父ですらこうだから、他のものはというのが私の論理《ロジック》でした。
 それでも彼らは私のために、私の所有にかかる一切《いっさい》のものを纏《まと》めてくれました。それは金額に見積ると、私の予期より遥《はる》かに少ないものでした。私としては黙ってそれを受け取るか、でなければ叔父を相手取って公沙汰《おおやけざた》にするか、二つの方法しかなかったのです。私は憤《いきどお》りました。また迷いました。訴訟にすると落着《らくちゃく》までに長い時間のかかる事も恐れました。私は修業中のからだですから、学生として大切な時間を奪われるのは非常の苦痛だとも考えました。私は思案の結果、市《し》におる中学の旧友に頼んで、私の受け取ったものを、すべて金の形《かたち》に変えようとしました。旧友は止《よ》した方が得だといって忠告してくれましたが、私は聞きませんでした。私は永く故郷《こきょう》を離れる決心をその時に起したのです。叔父の顔を見まいと心のうちで誓ったのです。
 私は国を立つ前に、また父と母の墓へ参りました。私はそれぎりその墓を見た事がありません。もう永久に見る機会も来ないでしょう。


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