夏目漱石「こころ」 - 40ページ
話はとうとう愚図愚図《ぐずぐず》になってしまった。そのうちに昏睡《こんすい》が来た。例の通り何も知らない母は、それをただの眠りと思い違えてかえって喜んだ。「まあああして楽に寝られれば、傍《はた》にいるものも助かります」といった。
父は時々眼を開けて、誰《だれ》はどうしたなどと突然聞いた。その誰はつい先刻《さっき》までそこに坐《すわ》っていた人の名に限られていた。父の意識には暗い所と明るい所とできて、その明るい所だけが、闇《やみ》を縫う白い糸のように、ある距離を置いて連続するようにみえた。母が昏睡《こんすい》状態を普通の眠りと取り違えたのも無理はなかった。
そのうち舌が段々|縺《もつ》れて来た。何かいい出しても尻《しり》が不明瞭《ふめいりょう》に了《おわ》るために、要領を得ないでしまう事が多くあった。そのくせ話し始める時は、危篤の病人とは思われないほど、強い声を出した。我々は固《もと》より不断以上に調子を張り上げて、耳元へ口を寄せるようにしなければならなかった。
「頭を冷やすと好《い》い心持ですか」
「うん」
私は看護婦を相手に、父の水枕《みずまくら》を取り更《か》えて、それから新しい氷を入れた氷嚢《ひょうのう》を頭の上へ載《の》せた。がさがさに割られて尖《とが》り切った氷の破片が、嚢《ふくろ》の中で落ちつく間、私は父の禿《は》げ上った額の外《はずれ》でそれを柔らかに抑《おさ》えていた。その時兄が廊下伝《ろうかづた》いにはいって来て、一通の郵便を無言のまま私の手に渡した。空《あ》いた方の左手を出して、その郵便を受け取った私はすぐ不審を起した。
それは普通の手紙に比べるとよほど目方の重いものであった。並《なみ》の状袋《じょうぶくろ》にも入れてなかった。また並の状袋に入れられべき分量でもなかった。半紙で包んで、封じ目を鄭寧《ていねい》に糊《のり》で貼《は》り付けてあった。私はそれを兄の手から受け取った時、すぐその書留である事に気が付いた。裏を返して見るとそこに先生の名がつつしんだ字で書いてあった。手の放せない私は、すぐ封を切る訳に行かないので、ちょっとそれを懐《ふところ》に差し込んだ。
十七
その日は病人の出来がことに悪いように見えた。私《わたくし》が厠《かわや》へ行こうとして席を立った時、廊下で行き合った兄は「どこへ行く」と番兵のような口調で誰何《すいか》した。
「どうも様子が少し変だからなるべく傍《そば》にいるようにしなくっちゃいけないよ」と注意した。
私もそう思っていた。懐中《かいちゅう》した手紙はそのままにしてまた病室へ帰った。父は眼を開けて、そこに並んでいる人の名前を母に尋ねた。母があれは誰、これは誰と一々説明してやると、父はそのたびに首肯《うなず》いた。首肯かない時は、母が声を張りあげて、何々さんです、分りましたかと念を押した。
「どうも色々お世話になります」
父はこういった。そうしてまた昏睡状態に陥った。枕辺《まくらべ》を取り巻いている人は無言のまましばらく病人の様子を見詰めていた。やがてその中《うち》の一人が立って次の間《ま》へ出た。するとまた一人立った。私も三人目にとうとう席を外《はず》して、自分の室《へや》へ来た。私には先刻《さっき》懐《ふところ》へ入れた郵便物の中を開けて見ようという目的があった。それは病人の枕元でも容易にできる所作《しょさ》には違いなかった。しかし書かれたものの分量があまりに多過ぎるので、一息《ひといき》にそこで読み通す訳には行かなかった。私は特別の時間を偸《ぬす》んでそれに充《あ》てた。
私は繊維の強い包み紙を引き掻くように裂《さ》き破った。中から出たものは、縦横《たてよこ》に引いた罫《けい》の中へ行儀よく書いた原稿|様《よう》のものであった。そうして封じる便宜のために、四《よ》つ折《おり》に畳《たた》まれてあった。私は癖のついた西洋紙を、逆に折り返して読みやすいように平たくした。
私の心はこの多量の紙と印気《インキ》が、私に何事を語るのだろうかと思って驚いた。私は同時に病室の事が気にかかった。私がこのかきものを読み始めて、読み終らない前に、父はきっとどうかなる、少なくとも、私は兄からか母からか、それでなければ伯父《おじ》からか、呼ばれるに極《きま》っているという予覚《よかく》があった。私は落ち付いて先生の書いたものを読む気になれなかった。私はそわそわしながらただ最初の一|頁《ページ》を読んだ。その頁は下《しも》のように綴《つづ》られていた。