夏目漱石「こころ」 - 30ページ
私は田舎《いなか》の客が嫌いだった。飲んだり食ったりするのを、最後の目的としてやって来る彼らは、何か事があれば好《い》いといった風《ふう》の人ばかり揃《そろ》っていた。私は子供の時から彼らの席に侍《じ》するのを心苦しく感じていた。まして自分のために彼らが来るとなると、私の苦痛はいっそう甚《はなはだ》しいように想像された。しかし私は父や母の手前、あんな野鄙《やひ》な人を集めて騒ぐのは止せともいいかねた。それで私はただあまり仰山だからとばかり主張した。
「仰山仰山とおいいだが、些《ちっ》とも仰山じゃないよ。生涯に二度とある事じゃないんだからね、お客ぐらいするのは当り前だよ。そう遠慮をお為《し》でない」
母は私が大学を卒業したのを、ちょうど嫁でも貰《もら》ったと同じ程度に、重く見ているらしかった。
「呼ばなくっても好《い》いが、呼ばないとまた何とかいうから」
これは父の言葉であった。父は彼らの陰口を気にしていた。実際彼らはこんな場合に、自分たちの予期通りにならないと、すぐ何とかいいたがる人々であった。
「東京と違って田舎は蒼蠅《うるさ》いからね」
父はこうもいった。
「お父さんの顔もあるんだから」と母がまた付け加えた。
私は我《が》を張る訳にも行かなかった。どうでも二人の都合の好《い》いようにしたらと思い出した。
「つまり私のためなら、止《よ》して下さいというだけなんです。陰で何かいわれるのが厭《いや》だからというご主意《しゅい》なら、そりゃまた別です。あなたがたに不利益な事を私が強いて主張したって仕方がありません」
「そう理屈をいわれると困る」
父は苦い顔をした。
「何もお前のためにするんじゃないとお父さんがおっしゃるんじゃないけれども、お前だって世間への義理ぐらいは知っているだろう」
母はこうなると女だけにしどろもどろな事をいった。その代り口数からいうと、父と私を二人寄せてもなかなか敵《かな》うどころではなかった。
「学問をさせると人間がとかく理屈っぽくなっていけない」
父はただこれだけしかいわなかった。しかし私はこの簡単な一句のうちに、父が平生《へいぜい》から私に対してもっている不平の全体を見た。私はその時自分の言葉使いの角張《かどば》ったところに気が付かずに、父の不平の方ばかりを無理のように思った。
父はその夜《よ》また気を更《か》えて、客を呼ぶなら何日《いつ》にするかと私の都合を聞いた。都合の好《い》いも悪いもなしにただぶらぶら古い家の中に寝起《ねお》きしている私に、こんな問いを掛けるのは、父の方が折れて出たのと同じ事であった。私はこの穏やかな父の前に拘泥《こだわ》らない頭を下げた。私は父と相談の上|招待《しょうだい》の日取りを極《き》めた。
その日取りのまだ来ないうちに、ある大きな事が起った。それは明治天皇《めいじてんのう》のご病気の報知であった。新聞紙ですぐ日本中へ知れ渡ったこの事件は、一軒の田舎家《いなかや》のうちに多少の曲折を経てようやく纏《まと》まろうとした私の卒業祝いを、塵《ちり》のごとくに吹き払った。
「まあ、ご遠慮申した方がよかろう」
眼鏡《めがね》を掛けて新聞を見ていた父はこういった。父は黙って自分の病気の事も考えているらしかった。私はついこの間の卒業式に例年の通り大学へ行幸《ぎょうこう》になった陛下を憶《おも》い出したりした。
四
小勢《こぜい》な人数《にんず》には広過ぎる古い家がひっそりしている中に、私《わたくし》は行李《こうり》を解いて書物を繙《ひもと》き始めた。なぜか私は気が落ち付かなかった。あの目眩《めまぐ》るしい東京の下宿の二階で、遠く走る電車の音を耳にしながら、頁《ページ》を一枚一枚にまくって行く方が、気に張りがあって心持よく勉強ができた。
私はややともすると机にもたれて仮寝《うたたね》をした。時にはわざわざ枕《まくら》さえ出して本式に昼寝を貪《むさ》ぼる事もあった。眼が覚めると、蝉《せみ》の声を聞いた。うつつから続いているようなその声は、急に八釜《やかま》しく耳の底を掻《か》き乱した。私は凝《じっ》とそれを聞きながら、時に悲しい思いを胸に抱《いだ》いた。