-かつての琉球王府は、反乱を起こさないようにと、与那国島では文字を普及させないようにした。そのため、与那国島では、別の文字としてカイダー字を作り出した。という説があるらしい。
-参考書籍「日本のふしぎ民俗学」(青春出版社)
-mediaworks[ecco.] - ダウンロード
--http://ecco.m78.com/download/
--->「すうちうま」の一種で、特に与那国のものをこう呼びました。一種の絵文字を含み、漢数字の混用が見られるのが特徴です。 公的な文字としても使用され、税として納める米粟の数量を表す数字として漢字とともに使用されました。「カイダー(かいだあ)」とは「仮屋(かりや:奉行所)」に由来するものといわれています。
-手書き風1バイトフォント No.2
--http://suzuka.cool.ne.jp/suzukon/one2.htm
--->「カイダー字フォント」は、琉球地方は与那国の文字だそうです。絵文字というか、トンパ文字に勝るとも劣らない魅力的な文字ですね。おすすめ。
--->「すうちうまフォント」は琉球地方で使用された数記号のフォントということです。とても興味深いです。
-竹富歴史資料館 - 蒐集館へようこそ!
--http://www2.ocn.ne.jp/~takesch/take6-1.html
--->カイダー字(象形文字)ワラサンとともに記号も文字の文字の代わりに使用された
--->ワラサン:学問のできなかった百姓は、ワラを色々な形に結んで文字、数字の代わりに私用された。
-webvanda.com < cloumn < Yaeyama 1999
--http://www.webvanda.com/80/column/yaeyama/1999.shtml
--->その女性が戻って来るまでの1分ほどの間に聞こえてきたのは、家の中で電話で話している老婆の声である。ショックを受けた。まったく分からない。日本語の形骸もそこにはなかった。完全な外国語だ。沖縄の言葉の独自性は有名だが、さらに宮古の言葉、八重山の言葉、与那国の言葉があり、それぞれの差は津軽弁と薩摩弁以上に違うと言う。特に与那国の言葉は、他の島の人はほとんど分からないとも。そんな事前の知識があっても、現実にまったく分からない言葉を前にすると冷静さを失ってしまう。日本という国で、現在でもまったく別の言葉をしゃべる人達がいるというショック。八重山はかつてそれぞれが別の国だったのであり、琉球でもなかった。さらにこの与那国には文字がなく、明治になるまで取引にカイダー字という象形文字を使っていた。私はこの後、八重山の文化と歴史に強い関心を持ち、ここでは「与那国ことば辞典」を買うなど、少しずつ八重山を知ろうとしている。そんなきっかけになったのが、この老婆の会話だった。
-国立民族学博物館|月刊みんぱく | 2006年10月号 第30巻第10号通巻第349号 2006年10月1日発行 | 「うすよごれた板きれなんだけど」
--http://www.minpaku.ac.jp/publication/gekkan/200610txt.html#15
--->このカイダー字板は現在、二枚の存在が確認されている(東京国立博物館、喜宝院蒐集館)。この資料の出現で一挙に二倍になった。民博にはこのほか「藁算(わらざん)」(藁をむすんで数を記録したもの)が収蔵されている。沖縄研究で知られた田代安定の蒐集によるもので、近年栗田文子氏により復元報告がなされた。これらの資料を活用するとき、民博は人頭税研究にとって大きな存在となるのではなかろうか。
-千葉日報|ニュース|12月12日文化・暮らしニュース
--http://www.chibanippo.co.jp/_inc/backnumber/news/bunka/061212.php
--->琉球王国の納税通知書発見 八重山のカイダー文字で
--->国立民族学博物館(大阪府吹田市)が所蔵している木札2枚が、明治時代に琉球王国が石垣島(沖縄県)の住民に対し納税を命じた通知書だったことが12日、分かった。
--->漢字が読めない住民のため、税額を「○」「△」「□」などカイダー字と呼ばれる八重山、宮古列島地域独自の表数文字を使用。カイダー字の木札は全国にほかに2枚しか残っておらず、調査した同博物館の佐々木利和教授(近世史)は「戦時中に大半が焼失したとみられ、琉球王国の税制を知る資料」と話している。
--->木札の1枚は縦約13センチ、横約20センチ。内容は、石垣島の大浜という集落の村長で、琉球王国から税の取りまとめを任されていた喜舎場という人物が明治25(1892)年度の税として住民の出盛山三郎あてに1石3斗5升4合6勺1才(約200キロ)の米を納めるよう命じたもの。
--->税額は漢数字とカイダー字で、同額が記されていた。カイダー字は○が1俵、□は1合を意味するという。
--->佐々木教授によると、琉球王国は石垣島を含む先島諸島などの住民に、年齢別の人頭税を課した。男性は米、女性は木綿などの布を納付。人頭税は1879年の沖縄県成立後も継続され、1903年1月まで続いた。
--->佐々木教授は「当時の田は収穫率も低く、かなりの重税だったのではないか」と当時の人々の苦労を思いやっている。
--->【写真】八重山、宮古列島地域独自のカイダー字が使われた琉球王国の木札の納税通知書=大阪府吹田市の国立民族学博物館
-言語学演習2005要旨
--http://www.gengo.l.u-tokyo.ac.jp/enshu_abstr05.html
--->12/5 Mark ROSA「与那国島のカイダー字」
--->カイダー字(ディ)は象形文字と数字を含む書紀体系で、与那国などの八重山諸島において取引・納税・屋号を表すために使用された。明治時代に本土の日本語が導入された後、カイダー字は廃れ始めた。本発表は二十世紀のカイダー字の歴史をたどろうとし、記録に残っている文字及びその与那国方言の読みを全て収録しようとする。筆者の仮説では、カイダー字の起源は三つに分けることができる:
--->1. 与那国島民が独自に創った字
--->2. 沖縄各地で使用された結び目の結縄「バラザン」から派生した数量詞
--->3. 中国や日本の漢字から派生した数字や単位を示す字
-言語学演習2006要旨
--http://www.gengo.l.u-tokyo.ac.jp/enshu_abstr06.html
--->10/2 ローザ マーク「カイダー字の完全記録にあたって−カタログとエンコード−」
--->カイダー字は、日本語が導入された20世紀初頭まで、沖縄県八重山諸島で、主に納税等の帳簿を記録するために使用された表記体系である。本発表は、カイダー字の分類体系をどう作るべきかを、次の概念を考慮して検討する。
--->1. 物や数を表す「カイダー字」と、屋号を表す「ダーハン」の二種類を区別する伝統的な島民の分類。
--->2. カイダー文字体系の複数の起源(ダーハン、及び、物を表す字は島民が作ったのに対して、数字は、中国・日本・沖縄の別の地域から来た、など)。
--->3. 異形字と文字の異なった配列(それぞれ島によって異なることがある)。
--->4. カイダー字のコンピュータのためのUnicodeエンコード方式。およびこれが他の、絶滅の危機に瀕した、あるいは廃用となった文字体系との関係で占める位置。
-昔に出会う旅 竹富島で象形文字「カイダー字」が使われていた
--http://blog.goo.ne.jp/tako_888k/e/f25aee73466f1365acaaee9fcd17f5f2
--->写真2段目は、「喜宝院蒐集館」に展示されている「板札象形文字(いたふだカイダージ)」です。
--->竹富島、与那国島で江戸時代まで使われていた絵文字(象形文字)だそうで、「カイダー字」or「カイダー文字」と言われています。
-喜宝院蒐集館
--http://www2.tontonme.ne.jp/users/kihouin/
--->喜宝院・(きほういん・しゅうしゅうかん)は、沖縄県八重山諸島、竹富島にあります。
--->日本最南端のお寺喜宝院と、そこに併設する民芸品などを集めた蒐集館です。
---http://clip.alpslab.jp/bin/map?pos=24/19/34.267,124/5/1.896&scale=25000
---http://base.alpslab.jp/?s=25000;p=24/19/34.267,124/5/1.896