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Twitter (2016-01-03)
「毎晩、足の踏み場もないほどに人が集まり、寝床となった地下道。その中には幼い〝浮浪児〟たちの姿があった」「朝が来ると兄妹3人は日が沈むまで上野公園で過ごした」「ここがね、朝からずうっと陽があたるんですよ。だからその辺にいたんですね。(上野公園で)その辺で3人でいたんです」
[t] 2016-01-03 09:34:14
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「日本中から〝浮浪児〟がめざした場所がある。それは闇市で賑わう交通の要、上野駅。調査で出会った金子トミさん(84歳)は当時15歳。親戚をたよって家族で疎開した山形で空襲に遭った。両親を亡くし、幼い妹と弟を連れて、上野駅の地下道にたどり着いた」
[t] 2016-01-03 09:33:36
「毎晩、足の踏み場もないほどに人が集まり、寝床となった地下道。その中には幼い〝浮浪児〟たちの姿があった」「朝が来ると兄妹3人は日が沈むまで上野公園で過ごした」「ここがね、朝からずうっと陽があたるんですよ。だからその辺にいたんですね。(上野公園で)その辺で3人でいたんです」
[t] 2016-01-03 09:34:14
「23歳で結婚。夫は春になると毎年『上野に桜を見に行こう』と誘った。でも金子さんは『もう見たから』と断り続けた。〝浮浪児〟だった過去は夫に最後まで明かせなかった」

「戦争孤児は国から捨てられた」「絶対こりごり」 http://urano.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-f0c7.html
[t] 2016-01-03 09:34:39
「当時、我々孤児に対して本当にやさしい言葉をかけたり、物をくれたり、親切にしてくれた人なんか、どこにもいなかった。本当にいなかった。水ひっかけられたり、本当に野良犬って言われていたからね。どけってなもんでね、きたないってね。それが私たち戦争孤児。私、絶対忘れないですよ」
[t] 2016-01-03 09:34:57
「犬を見て犬に教えられたんですよ。残飯食べる時、犬は上えの方から上手に食べるんですよ。我々は持ってつかんで、下から持ってくるから、下の方が痛んでるから、どうしても痛んでる方、食っちゃうんだよね。本当の犬はりこうだから上の方だけ食べる。それをまねして上の方だけを食べたけで」
[t] 2016-01-03 09:35:25
「残飯をあさる他、「浮浪児」が生きていく手段は物乞いをすること。中には、靴磨きの商売を始める子どももいた。新聞を仕入れて路上で売る少女たちも。自らの力でたくましく生きた浮浪児たち。その一方で、スリ等の犯罪に手を染める子も」
[t] 2016-01-03 09:35:46
「街にあふれる浮浪児は不良少年という目で見られ、世間からきらわれていった。行政は強制手段に出た。街にあふれる浮浪児に対し、強制手段に出た。それは〝刈り込み〟浮浪児を街から根絶せよと、いやがる子どもをつかまえ、脱げないよう服をぬがせ、いっせい収容した」
[t] 2016-01-03 09:36:24
「東京都養育院に入れられた浮浪児たち。栄養失調でお腹かがふくれ、あばら骨が浮き出るほどにやせ細った姿。自由を奪われた彼らは職員の目をぬすみ脱走を繰り返した」
[t] 2016-01-03 09:36:50
「つれてかれると全部裸。おまえら黴菌の塊だなんて言って、寒くてもなんでも水道の水をじゃーじゃーかけて、きれいにして。もう暴力は当たり前って感じだよね。運悪く捕まる、連れて行かれる、ほうりこまれる。なにしろまた飛び出して逃げてくる。そんな繰り返しがあったね」
[t] 2016-01-03 09:36:57
「刈り込みの目的は街の浄化と犯罪の防止 職員はいやがる子どもたちを捕え連行した 戦後、5年が経過し働ける歳になると浮浪児たちは少しずつ街から消えていった」

「戦争孤児は国から捨てられた」「絶対こりごり」 http://urano.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-f0c7.html
[t] 2016-01-03 09:37:24
「学童疎開は子どもたちの命を守ったかってね」「孤児にされた者たちにとっては。私たちは親たちと死んでいたほうがよかったんですよ。一人生き残されるぐらいだったら、命を助けたってことにならないんですよね」

「戦争孤児は国から捨てられた」 http://urano.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-f0c7.html
[t] 2016-01-03 09:38:08
「国は戦争孤児たちをどう保護したのか。終戦の一ヶ月後に国は保護対策要綱を発表。対策の中心は親戚など個人家庭の保護委託と養子縁組の斡旋だった」

「戦争孤児は国から捨てられた」「絶対こりごり」 3月23日 : 暖かさと希望を届けたい http://urano.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-f0c7.html
[t] 2016-01-03 09:38:27
「おねしょをしてしまった朝のこと「雪の積もっている外に出されて、外に凍りついている水を、バケツで私の身体めがけてざぶーんざぶーんとかけるわけ」「迷惑掛けているという後ろめたさに、子どもながらになんにも言えなかったの。やれるがままに、『おばさんごめんなさい』って言うしかなかった」
[t] 2016-01-03 09:38:54
「親戚というのは、本当に罵倒されるかそのくらいだから、親戚なんかいらないと思って。親戚頼るより赤の他人の方がずうっと親切です。物がちょっとみつからなくなったらしんですよ、箪笥のなかで、そしたら、『おまえが盗ったのか』と怒られて、私知りませんよ、そんなの」
[t] 2016-01-03 09:39:28
「当時の永田さんを支えたのは、両親と3人の姉たちが亡くなる前に疎開先に送っていてくれた手紙だった。それは家族から愛されていたかけがえのない証し」

「戦争孤児は国から捨てられた」「絶対こりごり」 3月23日: 暖かさと希望を届けたい http://urano.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-f0c7.html
[t] 2016-01-03 09:39:50
「おばの家から逃げたんですよね。当時は親のいない子なんか、じゃまものだったんですよ。みんな親戚の血が繋がっている子どもだろうとなんだろうと、もう、どっかに消しちゃいたかったのね。このまま、ここにいたら危ないぞと分かった。どうして私たちだけ残して死んじゃったのって言ってね」
[t] 2016-01-03 09:40:20
「親戚の家を追われ12歳の時、児童相談所から千葉の農家に養子に出された。「私の顔見るなり、『なんだ、もっと大きいの拾ってくればよかったのに』って。拾うっていう言葉があんまりにもね、なんかずしんときましたけどね。学校にはぜんぜん行かせてくれないんですよ。約束が守ってもらえなくて」
[t] 2016-01-03 09:40:41
「東京都では多摩地区の寺を中心に8ヶ所の孤児学寮を設置。東京都の記録では集団疎開先に残された1169人のうち345人を保護したとされている」

「戦争孤児は国から捨てられた」「絶対こりごり」 3月23日 : 暖かさと希望を届けたい http://urano.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-f0c7.html
[t] 2016-01-03 09:40:59
「一夜にして推定10万人の命を奪った東京大空襲。軍関係者とその遺族には国から補償がある一方、民間の被害者や遺族に対しては保証がない」

「戦争孤児は国から捨てられた」「絶対こりごり」 3月23日 : 暖かさと希望を届けたい http://urano.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-f0c7.html
[t] 2016-01-03 09:41:17
「2007年3月東京大空襲の被害者と遺族は国に損害賠償と謝罪を求めて集団訴訟を起こした。最終的な原告は131人。そのおよそ半数が戦争孤児」「2009年の一審判決は請求棄却。判決は「国民のほとんどが何らかの形で戦争被害を負っており裁判所が救済の対象を選別するのは困難」というもの」
[t] 2016-01-03 09:41:41
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