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Twitter (2016-01-03)
「なんでこんな傷があるんだろうと思ってた時、思いだしたんです。土瓶をぶつけられた時の傷だって」

「戦争孤児は国から捨てられた」「絶対こりごり」 3月23日 : 暖かさと希望を届けたい http://urano.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-f0c7.html
[t] 2016-01-03 09:32:14
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「ほんとうに野良犬って言われていたから、どけってなもので。痛さもがまん、食べたさもがまん、全てがまんで通ってました」

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[t] 2016-01-03 09:32:05
「なんでこんな傷があるんだろうと思ってた時、思いだしたんです。土瓶をぶつけられた時の傷だって」

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[t] 2016-01-03 09:32:14
「一日も生きていてよかった思ったことないですね。私も母といっしょに死んでた方がよかったってどれだけ思ったかわからないですよね。何で残していったんだろうって」

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[t] 2016-01-03 09:32:31
「私は戦争孤児は自分一人だけだと思っていたのが、あの人も孤児で、この人も孤児だって、こんなにねえ、学童疎開中に孤児が大勢出たんだなあって」
「これが孤児の住所録なんですよ。思い出したくありませんとか、しゃべれませんとか、そういう人ばっかしなんですよ」
[t] 2016-01-03 09:32:50
「「全国戦災史実調査報告書」1982年度 厚生省発行 3月10日の東京大空襲から日本全国で激しさを増した米軍の空襲、そして原爆投下。当時沖縄を除く全国の孤児の数は合わせて12万3千人」
[t] 2016-01-03 09:33:06
「終戦後、食糧や物資が不足し混乱していた日本。人々が群がる闇市に飢えをしのぼうと集まる戦争孤児の姿があった。親がなく、家もなく、保護してくれる人もない孤児たち。彼らは〝浮浪児〟と呼ばれた」
[t] 2016-01-03 09:33:30
「日本中から〝浮浪児〟がめざした場所がある。それは闇市で賑わう交通の要、上野駅。調査で出会った金子トミさん(84歳)は当時15歳。親戚をたよって家族で疎開した山形で空襲に遭った。両親を亡くし、幼い妹と弟を連れて、上野駅の地下道にたどり着いた」
[t] 2016-01-03 09:33:36
「毎晩、足の踏み場もないほどに人が集まり、寝床となった地下道。その中には幼い〝浮浪児〟たちの姿があった」「朝が来ると兄妹3人は日が沈むまで上野公園で過ごした」「ここがね、朝からずうっと陽があたるんですよ。だからその辺にいたんですね。(上野公園で)その辺で3人でいたんです」
[t] 2016-01-03 09:34:14
「23歳で結婚。夫は春になると毎年『上野に桜を見に行こう』と誘った。でも金子さんは『もう見たから』と断り続けた。〝浮浪児〟だった過去は夫に最後まで明かせなかった」

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[t] 2016-01-03 09:34:39
「当時、我々孤児に対して本当にやさしい言葉をかけたり、物をくれたり、親切にしてくれた人なんか、どこにもいなかった。本当にいなかった。水ひっかけられたり、本当に野良犬って言われていたからね。どけってなもんでね、きたないってね。それが私たち戦争孤児。私、絶対忘れないですよ」
[t] 2016-01-03 09:34:57
「犬を見て犬に教えられたんですよ。残飯食べる時、犬は上えの方から上手に食べるんですよ。我々は持ってつかんで、下から持ってくるから、下の方が痛んでるから、どうしても痛んでる方、食っちゃうんだよね。本当の犬はりこうだから上の方だけ食べる。それをまねして上の方だけを食べたけで」
[t] 2016-01-03 09:35:25
「残飯をあさる他、「浮浪児」が生きていく手段は物乞いをすること。中には、靴磨きの商売を始める子どももいた。新聞を仕入れて路上で売る少女たちも。自らの力でたくましく生きた浮浪児たち。その一方で、スリ等の犯罪に手を染める子も」
[t] 2016-01-03 09:35:46
「街にあふれる浮浪児は不良少年という目で見られ、世間からきらわれていった。行政は強制手段に出た。街にあふれる浮浪児に対し、強制手段に出た。それは〝刈り込み〟浮浪児を街から根絶せよと、いやがる子どもをつかまえ、脱げないよう服をぬがせ、いっせい収容した」
[t] 2016-01-03 09:36:24
「東京都養育院に入れられた浮浪児たち。栄養失調でお腹かがふくれ、あばら骨が浮き出るほどにやせ細った姿。自由を奪われた彼らは職員の目をぬすみ脱走を繰り返した」
[t] 2016-01-03 09:36:50
「つれてかれると全部裸。おまえら黴菌の塊だなんて言って、寒くてもなんでも水道の水をじゃーじゃーかけて、きれいにして。もう暴力は当たり前って感じだよね。運悪く捕まる、連れて行かれる、ほうりこまれる。なにしろまた飛び出して逃げてくる。そんな繰り返しがあったね」
[t] 2016-01-03 09:36:57
「刈り込みの目的は街の浄化と犯罪の防止 職員はいやがる子どもたちを捕え連行した 戦後、5年が経過し働ける歳になると浮浪児たちは少しずつ街から消えていった」

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[t] 2016-01-03 09:37:24
「学童疎開は子どもたちの命を守ったかってね」「孤児にされた者たちにとっては。私たちは親たちと死んでいたほうがよかったんですよ。一人生き残されるぐらいだったら、命を助けたってことにならないんですよね」

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[t] 2016-01-03 09:38:08
「国は戦争孤児たちをどう保護したのか。終戦の一ヶ月後に国は保護対策要綱を発表。対策の中心は親戚など個人家庭の保護委託と養子縁組の斡旋だった」

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[t] 2016-01-03 09:38:27
「おねしょをしてしまった朝のこと「雪の積もっている外に出されて、外に凍りついている水を、バケツで私の身体めがけてざぶーんざぶーんとかけるわけ」「迷惑掛けているという後ろめたさに、子どもながらになんにも言えなかったの。やれるがままに、『おばさんごめんなさい』って言うしかなかった」
[t] 2016-01-03 09:38:54
「親戚というのは、本当に罵倒されるかそのくらいだから、親戚なんかいらないと思って。親戚頼るより赤の他人の方がずうっと親切です。物がちょっとみつからなくなったらしんですよ、箪笥のなかで、そしたら、『おまえが盗ったのか』と怒られて、私知りませんよ、そんなの」
[t] 2016-01-03 09:39:28
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