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Twitter (2015-10-02)
「何も知らなかったこの子が、もう字を習うようになる。「あの日着ていたもんぺもいまは膝までしかない。しかもすっかり擦り切れている。それがたった一つの母の手縫いの形見だ。もう着られない」
[t] 2015-10-02 23:54:52
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「大きくなったものだ。もう学校へ行くようになった。あの日、まだ五つだった。近所の子供に「うちのお母さんも死んだんだよ」と自慢していたが。何も知らなかったこの子が、もう字を習うようになる」
[t] 2015-10-02 23:54:38
「何も知らなかったこの子が、もう字を習うようになる。「あの日着ていたもんぺもいまは膝までしかない。しかもすっかり擦り切れている。それがたった一つの母の手縫いの形見だ。もう着られない」
[t] 2015-10-02 23:54:52
「「ただいまっ」 といつもの元気のいい声がした。しかし今日に限って、ばたばた駆けこんで来ない。どうしたのだろうと私は首を枕からもたげ、ガラス越しに見た。カヤノが庭へはいって来た。両手に何かを持って、一心にそれを見つめ、すり足でしずかにしずかに歩いてくる」
[t] 2015-10-02 23:55:47
「ようやく私の病室へたどりつき、おえんがわに両手に持ってきたものを置いたのを見ると、学校給食のおわんである。カヤノはおえんがわに上り、またおわんを両手に持ち上げ、ランドセルを背負ったまま病室へ入ってきた。目はやっぱりおわんから離さない。その表情も、その全身もすっかり緊張している」
[t] 2015-10-02 23:56:19
「あのネ、門を出るところで二年生におされて、こぼしたの」 「おわんの中を見ると、こぼれずに残った、わずか二口足らずのパイン・ジュースが入っていた。 「今日の給食はネ、ひと口いただいてみたら、とてもおいしかったもんだから……さあ、お父さん、おあがりよ、おいしいのよ」」
[t] 2015-10-02 23:57:06
「あの二人の子供の死が、このごろいよいよ鋭く私の良心を責める。あの当時はむしろいいことをしてやったとさえ思っていたのだが、いまではわが子のことと思い合わせて、どうも気にかかって仕方がない。どうせ死ぬべき重い症状ではあったが、私に心の底から救ってやりたいとの気持ちのなかった」
[t] 2015-10-02 23:57:28
「一人は女の子で四歳。父は戦死して、母ひとりの手で育てられていたが、その母は、原子爆弾の落ちたとき、その子をわが身でかばって伏せたまま、倒れかかった柱に頭を割られて死んでいた。子はかすり傷ひとつ負わず救い出されたのだった」
[t] 2015-10-02 23:58:06
「お母、お母と夜どおし病室にあてた土間で泣いて捜していたが、六日目から急に弱って血便を出し、熱を発した。私はそれを診察して、これはもう助からぬ、とすぐ予後を判定した。そして、この女の子は死ぬほうがかえって身の幸福だと思った」
[t] 2015-10-02 23:58:29
「母はこの子を助けたいばかりに、柱の倒れかかる寸前、この子を腹の下にかばって、身代わりになってはくれたけれど、そうしてせっかく生き長らえた一生が果たして幸福なのであろうか? 早くお母さんのあとを追うて天国へ行くほうがいいだろう。――私はそう思った」
[t] 2015-10-02 23:58:53
「身代わりになってはくれたけれど、そうしてせっかく生き長らえた一生が果たして幸福なのであろうか? 早くお母さんのあとを追うて天国へ行くほうがいいだろう。――私はそう思ったものだから、治療も通り一ぺんにして、あまり身を入れなかった。女の子はそれから四日後に死んだ」
[t] 2015-10-02 23:59:08
「もう一人は五歳の男の子だった。私生児だったのである。父親が出征したあとで、生まれて初めてそんな女性のあったことがわかり、いざこざがあって、手切金を渡し、子供を父親の実家に引き取って育てていた」
[t] 2015-10-02 23:59:53
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