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nilog:

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Twitter (2020-05-02)
RT @kendou774:
スレッドにします。
『日本海に浮かぶ小さな無人島』地図上で"点"として描かれたその島は、周囲は断崖絶壁、内陸は緑に覆われ、とても人の住める島には見えない。だが、かつてこの島には人の営みがあった。無人化してから45年経った島の今を記録するために、益田市『高島』へ行ってみた。 https://twitter.com/kendou774/status/1256194838531194882/photo/1
[t] 2020-05-02 20:51:50
関連するかも情報
つくれぽありがとうございますー(*´∀`) でも暑い日には冷奴のような・・・

「暑い日には食べたくなりますよね(*^^*)」

ムーミン☆ママが作った料理 "温奴(おんやっこ) by nilab"【クックパッド】 https://cookpad.com/tsukurepo/25185601#share_tw #cookpad
[t] 2020-05-02 20:49:43
RT @kendou774:
スレッドにします。
『日本海に浮かぶ小さな無人島』地図上で"点"として描かれたその島は、周囲は断崖絶壁、内陸は緑に覆われ、とても人の住める島には見えない。だが、かつてこの島には人の営みがあった。無人化してから45年経った島の今を記録するために、益田市『高島』へ行ってみた。 https://twitter.com/kendou774/status/1256194838531194882/photo/1
[t] 2020-05-02 20:51:50
RT @kendou774:
地図で見つけた小さな島。昔はこの島に人が住んでいたと知った時、『ここに人が住んでいたのか』という驚きと、『今はどうなっているのか』という疑問が湧いてきたのだ。しかし、ネット上に"現在の高島に関する情報"は殆ど見られない。高島はどうなっているのだろうか。実際に行って確かめるしかない。 https://twitter.com/kendou774/status/1256195090382385152/photo/1
[t] 2020-05-02 20:51:52
RT @kendou774:
高島は島根県益田市の沖合約12kmにある。周囲は4km、島は断崖絶壁で囲まれ、平地は全く存在しない。それ故、港と言えるものはなく、小さな船着き場だけが存在する。有人だった当時、アクセスの困難さは国内有人離島の中でもトップクラスであった。『大海原の孤島』と呼ぶにふさわしい島である。 https://twitter.com/kendou774/status/1256195587675807746/photo/1
[t] 2020-05-02 20:51:56
RT @kendou774:
『高島に行く』それは簡単ではない。島へ渡る手段も、島の現状も全く分からないのだ。夏の盛り、その糸口を掴むために益田市役所に問い合わせた。後日、市役所のKさんから連絡をいただいた。なんと、元島民(以降、島民とします)の方と取り合っていただき、聞き取りの機会を設けてくださったのだ。 https://twitter.com/kendou774/status/1256195775329038336/photo/1
[t] 2020-05-02 20:52:00
RT @kendou774:
暗闇の中、渡船3隻が並んで高島へと向かう。これら渡船の船長は高島関係者でもある。乗船した船の船長からはこう伝言される『灯台のそばに梅の木がある。どうなっているか見てきてくれ』
※高島には高島関係者以外、無断で上陸することはできません。また、危険な箇所も多数あります。 https://twitter.com/kendou774/status/1256229503493382146/photo/1
[t] 2020-05-02 20:52:11
RT @kendou774:
薄明かりに高島の島影が見えてきた。まるで人を拒絶するかのような断崖に囲まれている。何とも恐ろしい島だ。断崖は、島の南側で10m、北側にいたっては40mもの高さがある。かつてこの島には人の営みがあった。それが事実だと分かっていても、ここに広がる風景からは全く想像することができない。 https://twitter.com/kendou774/status/1256229505565409287/photo/1
[t] 2020-05-02 20:52:16
RT @kendou774:
『船着き場』
船の舳先から巨岩に飛び移って高島に上陸する。高島に港はない。あるのは小さな船着き場だけだ。現在の船着き場は集団離島後に整備されたもので、それ以前は更に小さな船着き場だった。S.41年の灯台建設前は船着き場すらなく、波のタイミングを見て岩場に飛び移るしかなかった。 https://twitter.com/kendou774/status/1256229507553546241/photo/1
[t] 2020-05-02 20:52:20
RT @kendou774:
船着き場から島を見上げると、巨岩が積み重なっている。その間を縫うように階段が伸びていた。島の玄関がこの光景とは、何ともインパクトがある。階段が整備されたのは灯台建設の頃である。それ以前はどうやってここを登っていたのだろうか。振り返れば、小さな船着き場で数人の方が釣りに興じていた。 https://twitter.com/kendou774/status/1256229509856190467/photo/1
[t] 2020-05-02 20:52:23
RT @kendou774:
階段を登った先には、緑のトンネルが待ち受けていた。それは未知なる島への入口のようであった。緑のトンネルは、深い木々によって薄暗く、その中を道が続いていた。草が刈られているところを見ると、灯台の保守のために使用されている道のようだ。脇には空き瓶が転がっていた。 https://twitter.com/kendou774/status/1256229512586637313/photo/1
[t] 2020-05-02 20:52:26
RT @kendou774:
島民の方からは『学校以外の建物は残っていないのではないか』と聞いていた。しかし、木々の下に一軒の廃屋が現れた。建物は残っていたのだ。先に進むと、学校の校舎も現れた。一方で、完全に潰れた建物も次々と見つかった。この時は一時的に道を見失っていたこともあり、まずは灯台を目指した。 https://twitter.com/kendou774/status/1256230793569058816/photo/1
[t] 2020-05-02 20:52:33
RT @kendou774:
『野武士の墓と甘藷塚』
灯台へ向かう道の脇には、野武士の墓と言われる観音岩と、芋代官の井戸正朋を尊う甘藷塚がある。高島のルーツには、出羽武士の亡命説、出雲馬木城武士の漂流説、茶臼山城水軍の逃亡説の3つの謂れがある。何れにせよ、戦国時代に逃げ落ちた武士が住み着いた説が有力である。 https://twitter.com/kendou774/status/1256230797633347586/photo/1
[t] 2020-05-02 20:52:44
RT @kendou774:
『高島燈台』
空に聳える真っ白な灯台。S.41年初点。高島周辺は海の難所であり、灯台ができるまでは度々事故が起きていた。道路も重機も無い高島において、建設は概ね手作業であり、島民の方々もアルバイトで従事していた。島が無人化してからも、海上保安庁の方が定期的に保守されている。 https://twitter.com/kendou774/status/1256230800095354880/photo/1
[t] 2020-05-02 20:52:49
RT @kendou774:
島に平坦地はないが、灯台の西側にヘリコプターが着陸できるくらいの開けた場所があり、畑が広がっていた。しかし、今では緑に埋め尽くされて見る影もない。そして、船長から頼まれた梅の木も探し出すことができなかった。人の手が入らなくなった土地は、緑に侵食されてしまう運命なのだ。 https://twitter.com/kendou774/status/1256230802276388867/photo/1
[t] 2020-05-02 20:52:54
RT @kendou774:
『高島分校』
コンクリートブロック造りの校舎は無残な姿を晒していた。木造の講堂にいたっては姿を消していた。全島民の離島時に廃校となった益田市立鎌手小学校・中学校の高島分校。元々は集落の入口にあった2階建ての民家を校舎としていたが、老朽化によりこの校舎がS.37年に建てられた。 https://twitter.com/kendou774/status/1256230804272959488/photo/1
[t] 2020-05-02 20:52:59
RT @kendou774:
生徒達が走り回っていた校庭には木々が生い茂っていた。教員は2人、生徒は多い時で30人ほどだった。このような僻地では、教育環境を本土並みに整えることは困難であった。それでも、教員の方々は少しでも良い教育を受けさせようと奮闘した。そして、子供達はどこまでも純粋であった。 https://twitter.com/kendou774/status/1256230806588133376/photo/1
[t] 2020-05-02 20:53:06
RT @kendou774:
『集落跡』
狭い路地のような階段だが、これが島のメインストリートだった。両側には家々が立ち並び、その先には日本海を眺めることができた。高島を紹介する写真の多くは、この道を写している。しかし、月日を経て、立ち並んでいた家々、そして日本海の眺めは消えてしまった。 https://twitter.com/kendou774/status/1256230808706330627/photo/1
[t] 2020-05-02 20:53:10
RT @kendou774:
ここに、過去の航空写真を示す。地図中に示す三軒の家屋は辛うじて姿を留めていたが、どう見ても住める状態ではない。45年を経て、多くの建物が倒壊し、残った家屋も朽ち果てるとは、 高島の自然環境の厳しさを窺い知ることができる。家屋の殆どは平屋建てであったが、2階建ての建物もあったようだ。 https://twitter.com/kendou774/status/1256230811050917896/photo/1
[t] 2020-05-02 20:53:18
RT @kendou774:
集落内には生活の痕跡が散らばっていた。 高島では色々な野菜や果物が栽培され、海藻や魚貝類も採ることができた。しかし、水を必要とする米などは作ることができなかった。それ以外にも調味料や建築資材等、生活用品の大多数は本土に頼っていた。現金収入の手段は限られ、島民の生活は苦しかった。 https://twitter.com/kendou774/status/1256230812988604419/photo/1
[t] 2020-05-02 20:53:30
RT @kendou774:
海に面した水汲み場。道が崩れて近づけなかった。島民の方々が最も苦労したのは水の確保である。高島は急峻な地形故に、河川が一切無い。長い間、天水と湧き水が水源だった。戦後に入ると徐々に改善され、S.26年に貯水タンク、その後に簡易水道が整備された。それでも豊富に使える量ではなかった。 https://twitter.com/kendou774/status/1256232088132620293/photo/1
[t] 2020-05-02 20:53:40
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