「鷗外がドイツに留学した頃、日本陸軍では脚気患者が多いことに悩まされていました。食事は精白米中心で、鷗外を含む何人かの医者は脚気を感染症だとする説をとっていて食事内容の変更をしませんでした。治療の方法も見出せず、多くの犠牲者を出してしまったのです。一方、海軍軍医総監の高木兼寛は、欧米の軍隊には脚気患者がいなかったことから、パン、牛乳、野菜を多くして米飯を減らした食事を試みたところ、症状が緩和され、死者はほとんど出なかったそうです。高木兼寛は兵食を西洋式にすることを提案しますが、鷗外は大反対します。1885年(明治18)に「日本兵食論大意」を発表し、これまでの日本食でまったく問題ないと主張して西洋食を取り入れませんでした」 発表当時は「気持ち悪い」と言われた森鷗外『舞姫』は、なぜ名作となったのか 文豪たちの人生の岐路(第5回)森鷗外:前編 (2/4) | JBpress autograph https://autograph.ismedia.jp/articles/-/1368?page=2
[Mastodon] 2024-03-16 21:36:07
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