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「1886年(明治19年)に日本標準時が制定されるまでは、どのような時刻制度が使われていたのでしょうか。日本の時刻制度が明確にあらわされているのは、平安時代の律令の施行細則である「延喜式」です。これによると、平安時代には、日の出入りにあわせて宮廷の門を開閉し、開閉時には太鼓を打って時を知らせていたようです。江戸時代になると、「時の鐘」をたたき人々に時を知らせました。お城には太鼓櫓が設置され、時侍が太鼓を打っていました。また明治4年には、太政官達により、毎日正午に大砲(空砲)を打つこととなり、以来、全国の主要な地域では午砲(ドン)が時を知らせました。」 「太陽が南中する時刻は東と西でちがいます。当時は、それぞれの経度での太陽の動きをもとに時刻を決めていました。これを地方時といいます。明治の初めの頃、東京・横浜間の鉄道は東京の地方時を、京阪神の鉄道は大阪の地方時を使っていました。また、全国の気象台は、京都の地方時で一斉に気象観測をしていました。」 明石市立天文科学館 星空のレシピ VOL.331 https://www.am12.jp/WPDATA/wp-content/uploads/2022/01/hoshipi331.pdf
[mstdn.jp] 2026-07-13 07:19:44
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