夏目漱石「こころ」 - 85ページ


 私はただ人間の罪というものを深く感じたのです。その感じが私をKの墓へ毎月《まいげつ》行かせます。その感じが私に妻の母の看護をさせます。そうしてその感じが妻に優しくしてやれと私に命じます。私はその感じのために、知らない路傍《ろぼう》の人から鞭《むち》うたれたいとまで思った事もあります、こうした階段を段々経過して行くうちに、人に鞭うたれるよりも、自分で自分を鞭うつべきだという気になります。自分で自分を鞭うつよりも、自分で自分を殺すべきだという考えが起ります。私は仕方がないから、死んだ気で生きて行こうと決心しました。
 私がそう決心してから今日《こんにち》まで何年になるでしょう。私と妻とは元の通り仲好く暮して来ました。私と妻とは決して不幸ではありません、幸福でした。しかし私のもっている一点、私に取っては容易ならんこの一点が、妻には常に暗黒に見えたらしいのです。それを思うと、私は妻《さい》に対して非常に気の毒な気がします。

     五十五

「死んだつもりで生きて行こうと決心した私の心は、時々外界の刺戟《しげき》で躍《おど》り上がりました。しかし私がどの方面かへ切って出ようと思い立つや否《いな》や、恐ろしい力がどこからか出て来て、私の心をぐいと握り締めて少しも動けないようにするのです。そうしてその力が私にお前は何をする資格もない男だと抑《おさ》え付けるようにいって聞かせます。すると私はその一言《いちげん》で直《すぐ》ぐたりと萎《しお》れてしまいます。しばらくしてまた立ち上がろうとすると、また締め付けられます。私は歯を食いしばって、何で他《ひと》の邪魔をするのかと怒鳴り付けます。不可思議な力は冷《ひや》やかな声で笑います。自分でよく知っているくせにといいます。私はまたぐたりとなります。
 波瀾《はらん》も曲折もない単調な生活を続けて来た私の内面には、常にこうした苦しい戦争があったものと思って下さい。妻《さい》が見て歯痒《はがゆ》がる前に、私自身が何層倍《なんぞうばい》歯痒い思いを重ねて来たか知れないくらいです。私がこの牢屋《ろうや》の中《うち》に凝《じっ》としている事がどうしてもできなくなった時、またその牢屋をどうしても突き破る事ができなくなった時、必竟《ひっきょう》私にとって一番楽な努力で遂行《すいこう》できるものは自殺より外《ほか》にないと私は感ずるようになったのです。あなたはなぜといって眼を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》るかも知れませんが、いつも私の心を握り締めに来るその不可思議な恐ろしい力は、私の活動をあらゆる方面で食い留めながら、死の道だけを自由に私のために開けておくのです。動かずにいればともかくも、少しでも動く以上は、その道を歩いて進まなければ私には進みようがなくなったのです。
 私は今日《こんにち》に至るまですでに二、三度運命の導いて行く最も楽な方向へ進もうとした事があります。しかし私はいつでも妻に心を惹《ひ》かされました。そうしてその妻をいっしょに連れて行く勇気は無論ないのです。妻にすべてを打ち明ける事のできないくらいな私ですから、自分の運命の犠牲《ぎせい》として、妻の天寿《てんじゅ》を奪うなどという手荒《てあら》な所作《しょさ》は、考えてさえ恐ろしかったのです。私に私の宿命がある通り、妻には妻の廻《まわ》り合せがあります、二人を一束《ひとたば》にして火に燻《く》べるのは、無理という点から見ても、痛ましい極端としか私には思えませんでした。
 同時に私だけがいなくなった後《あと》の妻を想像してみるといかにも不憫《ふびん》でした。母の死んだ時、これから世の中で頼りにするものは私より外になくなったといった彼女の述懐《じゅっかい》を、私は腸《はらわた》に沁《し》み込むように記憶させられていたのです。私はいつも躊躇《ちゅうちょ》しました。妻の顔を見て、止《よ》してよかったと思う事もありました。そうしてまた凝《じっ》と竦《すく》んでしまいます。そうして妻から時々物足りなそうな眼で眺《なが》められるのです。
 記憶して下さい。私はこんな風《ふう》にして生きて来たのです。始めてあなたに鎌倉《かまくら》で会った時も、あなたといっしょに郊外を散歩した時も、私の気分に大した変りはなかったのです。私の後ろにはいつでも黒い影が括《く》ッ付《つ》いていました。私は妻《さい》のために、命を引きずって世の中を歩いていたようなものです。あなたが卒業して国へ帰る時も同じ事でした。九月になったらまたあなたに会おうと約束した私は、嘘《うそ》を吐《つ》いたのではありません。全く会う気でいたのです。秋が去って、冬が来て、その冬が尽きても、きっと会うつもりでいたのです。
 すると夏の暑い盛りに明治天皇《めいじてんのう》が崩御《ほうぎょ》になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後《あと》に生き残っているのは必竟《ひっきょう》時勢遅れだという感じが烈《はげ》しく私の胸を打ちました。私は明白《あから》さまに妻にそういいました。妻は笑って取り合いませんでしたが、何を思ったものか、突然私に、では殉死《じゅんし》でもしたらよかろうと調戯《からか》いました。

     五十六


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