夏目漱石「こころ」 - 83ページ
「私の亡友に対するこうした感じはいつまでも続きました。実は私も初めからそれを恐れていたのです。年来の希望であった結婚すら、不安のうちに式を挙げたといえばいえない事もないでしょう。しかし自分で自分の先が見えない人間の事ですから、ことによるとあるいはこれが私の心持を一転して新しい生涯に入《はい》る端緒《いとくち》になるかも知れないとも思ったのです。ところがいよいよ夫として朝夕|妻《さい》と顔を合せてみると、私の果敢《はか》ない希望は手厳しい現実のために脆《もろ》くも破壊されてしまいました。私は妻と顔を合せているうちに、卒然《そつぜん》Kに脅《おびや》かされるのです。つまり妻が中間に立って、Kと私をどこまでも結び付けて離さないようにするのです。妻のどこにも不足を感じない私は、ただこの一点において彼女を遠ざけたがりました。すると女の胸にはすぐそれが映《うつ》ります。映るけれども、理由は解《わか》らないのです。私は時々妻からなぜそんなに考えているのだとか、何か気に入らない事があるのだろうとかいう詰問《きつもん》を受けました。笑って済ませる時はそれで差支《さしつか》えないのですが、時によると、妻の癇《かん》も高《こう》じて来ます。しまいには「あなたは私を嫌っていらっしゃるんでしょう」とか、「何でも私に隠していらっしゃる事があるに違いない」とかいう怨言《えんげん》も聞かなくてはなりません。私はそのたびに苦しみました。
私は一層《いっそ》思い切って、ありのままを妻に打ち明けようとした事が何度もあります。しかしいざという間際になると自分以外のある力が不意に来て私を抑《おさ》え付けるのです。私を理解してくれるあなたの事だから、説明する必要もあるまいと思いますが、話すべき筋だから話しておきます。その時分の私は妻に対して己《おの》れを飾る気はまるでなかったのです。もし私が亡友に対すると同じような善良な心で、妻の前に懺悔《ざんげ》の言葉を並べたなら、妻は嬉《うれ》し涙をこぼしても私の罪を許してくれたに違いないのです。それをあえてしない私に利害の打算があるはずはありません。私はただ妻の記憶に暗黒な一点を印《いん》するに忍びなかったから打ち明けなかったのです。純白なものに一雫《ひとしずく》の印気《インキ》でも容赦《ようしゃ》なく振り掛けるのは、私にとって大変な苦痛だったのだと解釈して下さい。
一年|経《た》ってもKを忘れる事のできなかった私の心は常に不安でした。私はこの不安を駆逐《くちく》するために書物に溺《おぼ》れようと力《つと》めました。私は猛烈な勢《いきおい》をもって勉強し始めたのです。そうしてその結果を世の中に公《おおやけ》にする日の来るのを待ちました。けれども無理に目的を拵《こしら》えて、無理にその目的の達せられる日を待つのは嘘《うそ》ですから不愉快です。私はどうしても書物のなかに心を埋《うず》めていられなくなりました。私はまた腕組みをして世の中を眺《なが》めだしたのです。
妻はそれを今日《こんにち》に困らないから心に弛《たる》みが出るのだと観察していたようでした。妻の家にも親子二人ぐらいは坐《すわ》っていてどうかこうか暮して行ける財産がある上に、私も職業を求めないで差支《さしつか》えのない境遇にいたのですから、そう思われるのももっともです。私も幾分かスポイルされた気味がありましょう。しかし私の動かなくなった原因の主なものは、全くそこにはなかったのです。叔父《おじ》に欺《あざむ》かれた当時の私は、他《ひと》の頼みにならない事をつくづくと感じたには相違ありませんが、他《ひと》を悪く取るだけあって、自分はまだ確かな気がしていました。世間はどうあろうともこの己《おれ》は立派な人間だという信念がどこかにあったのです。それがKのために美事《みごと》に破壊されてしまって、自分もあの叔父と同じ人間だと意識した時、私は急にふらふらしました。他《ひと》に愛想《あいそ》を尽かした私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです。
五十三
「書物の中に自分を生埋《いきう》めにする事のできなかった私は、酒に魂を浸《ひた》して、己《おの》れを忘れようと試みた時期もあります。私は酒が好きだとはいいません。けれども飲めば飲める質《たち》でしたから、ただ量を頼みに心を盛《も》り潰《つぶ》そうと力《つと》めたのです。この浅薄《せんぱく》な方便はしばらくするうちに私をなお厭世的《えんせいてき》にしました。私は爛酔《らんすい》の真最中《まっさいちゅう》にふと自分の位置に気が付くのです。自分はわざとこんな真似《まね》をして己れを偽《いつわ》っている愚物《ぐぶつ》だという事に気が付くのです。すると身振《みぶる》いと共に眼も心も醒《さ》めてしまいます。時にはいくら飲んでもこうした仮装状態にさえ入《はい》り込めないでむやみに沈んで行く場合も出て来ます。その上技巧で愉快を買った後《あと》には、きっと沈鬱《ちんうつ》な反動があるのです。私は自分の最も愛している妻《さい》とその母親に、いつでもそこを見せなければならなかったのです。しかも彼らは彼らに自然な立場から私を解釈して掛《かか》ります。
妻の母は時々|気拙《きまず》い事を妻にいうようでした。それを妻は私に隠していました。しかし自分は自分で、単独に私を責めなければ気が済まなかったらしいのです。責めるといっても、決して強い言葉ではありません。妻から何かいわれたために、私が激した例《ためし》はほとんどなかったくらいですから。妻はたびたびどこが気に入らないのか遠慮なくいってくれと頼みました。それから私の未来のために酒を止《や》めろと忠告しました。ある時は泣いて「あなたはこの頃《ごろ》人間が違った」といいました。それだけならまだいいのですけれども、「Kさんが生きていたら、あなたもそんなにはならなかったでしょう」というのです。私はそうかも知れないと答えた事がありましたが、私の答えた意味と、妻の了解した意味とは全く違っていたのですから、私は心のうちで悲しかったのです。それでも私は妻に何事も説明する気にはなれませんでした。