夏目漱石「こころ」 - 60ページ
私はただKの健康について云々《うんぬん》しました。一人で置くとますます人間が偏屈《へんくつ》になるばかりだからといいました。それに付け足して、Kが養家《ようか》と折合《おりあい》の悪かった事や、実家と離れてしまった事や、色々話して聞かせました。私は溺《おぼ》れかかった人を抱いて、自分の熱を向うに移してやる覚悟で、Kを引き取るのだと告げました。そのつもりであたたかい面倒を見てやってくれと、奥さんにもお嬢さんにも頼みました。私はここまで来て漸々《ようよう》奥さんを説き伏せたのです。しかし私から何にも聞かないKは、この顛末《てんまつ》をまるで知らずにいました。私もかえってそれを満足に思って、のっそり引き移って来たKを、知らん顔で迎えました。
奥さんとお嬢さんは、親切に彼の荷物を片付ける世話や何《なに》かをしてくれました。すべてそれを私に対する好意から来たのだと解釈した私は、心のうちで喜びました。――Kが相変らずむっちりした様子をしているにもかかわらず。
私がKに向って新しい住居《すまい》の心持はどうだと聞いた時に、彼はただ一言《いちげん》悪くないといっただけでした。私からいわせれば悪くないどころではないのです。彼の今までいた所は北向きの湿っぽい臭《にお》いのする汚い室《へや》でした。食物《くいもの》も室|相応《そうおう》に粗末でした。私の家へ引き移った彼は、幽谷《ゆうこく》から喬木《きょうぼく》に移った趣があったくらいです。それをさほどに思う気色《けしき》を見せないのは、一つは彼の強情から来ているのですが、一つは彼の主張からも出ているのです。仏教の教義で養われた彼は、衣食住についてとかくの贅沢《ぜいたく》をいうのをあたかも不道徳のように考えていました。なまじい昔の高僧だとか聖徒《セーント》だとかの伝《でん》を読んだ彼には、ややともすると精神と肉体とを切り離したがる癖がありました。肉を鞭撻《べんたつ》すれば霊の光輝が増すように感ずる場合さえあったのかも知れません。
私はなるべく彼に逆《さか》らわない方針を取りました。私は氷を日向《ひなた》へ出して溶《と》かす工夫をしたのです。今に融《と》けて温かい水になれば、自分で自分に気が付く時機が来るに違いないと思ったのです。
二十四
「私は奥さんからそういう風《ふう》に取り扱われた結果、段々快活になって来たのです。それを自覚していたから、同じものを今度はKの上に応用しようと試みたのです。Kと私とが性格の上において、大分《だいぶ》相違のある事は、長く交際《つきあ》って来た私によく解《わか》っていましたけれども、私の神経がこの家庭に入ってから多少|角《かど》が取れたごとく、Kの心もここに置けばいつか沈まる事があるだろうと考えたのです。
Kは私より強い決心を有している男でした。勉強も私の倍ぐらいはしたでしょう。その上持って生れた頭の質《たち》が私よりもずっとよかったのです。後《あと》では専門が違いましたから何ともいえませんが、同じ級にいる間《あいだ》は、中学でも高等学校でも、Kの方が常に上席を占めていました。私には平生から何をしてもKに及ばないという自覚があったくらいです。けれども私が強《し》いてKを私の宅《うち》へ引《ひ》っ張《ぱ》って来た時には、私の方がよく事理を弁《わきま》えていると信じていました。私にいわせると、彼は我慢と忍耐の区別を了解していないように思われたのです。これはとくにあなたのために付け足しておきたいのですから聞いて下さい。肉体なり精神なりすべて我々の能力は、外部の刺戟《しげき》で、発達もするし、破壊されもするでしょうが、どっちにしても刺戟を段々に強くする必要のあるのは無論ですから、よく考えないと、非常に険悪な方向へむいて進んで行きながら、自分はもちろん傍《はた》のものも気が付かずにいる恐れが生じてきます。医者の説明を聞くと、人間の胃袋ほど横着なものはないそうです。粥《かゆ》ばかり食っていると、それ以上の堅いものを消化《こな》す力がいつの間にかなくなってしまうのだそうです。だから何でも食う稽古《けいこ》をしておけと医者はいうのです。けれどもこれはただ慣れるという意味ではなかろうと思います。次第に刺戟を増すに従って、次第に営養機能の抵抗力が強くなるという意味でなくてはなりますまい。もし反対に胃の力の方がじりじり弱って行ったなら結果はどうなるだろうと想像してみればすぐ解《わか》る事です。Kは私より偉大な男でしたけれども、全くここに気が付いていなかったのです。ただ困難に慣れてしまえば、しまいにその困難は何でもなくなるものだと極《き》めていたらしいのです。艱苦《かんく》を繰り返せば、繰り返すというだけの功徳《くどく》で、その艱苦が気にかからなくなる時機に邂逅《めぐりあ》えるものと信じ切っていたらしいのです。