夏目漱石「こころ」 - 23ページ


 その時の私《わたくし》は腹の中で先生を憎らしく思った。肩を並べて歩き出してからも、自分の聞きたい事をわざと聞かずにいた。しかし先生の方では、それに気が付いていたのか、いないのか、まるで私の態度に拘泥《こだわ》る様子を見せなかった。いつもの通り沈黙がちに落ち付き払った歩調をすまして運んで行くので、私は少し業腹《ごうはら》になった。何とかいって一つ先生をやっ付けてみたくなって来た。
「先生」
「何ですか」
「先生はさっき少し昂奮《こうふん》なさいましたね。あの植木屋の庭で休んでいる時に。私は先生の昂奮したのを滅多《めった》に見た事がないんですが、今日は珍しいところを拝見したような気がします」
 先生はすぐ返事をしなかった。私はそれを手応《てごた》えのあったようにも思った。また的《まと》が外《はず》れたようにも感じた。仕方がないから後《あと》はいわない事にした。すると先生がいきなり道の端《はじ》へ寄って行った。そうして綺麗《きれい》に刈り込んだ生垣《いけがき》の下で、裾《すそ》をまくって小便をした。私は先生が用を足す間ぼんやりそこに立っていた。
「やあ失敬」
 先生はこういってまた歩き出した。私はとうとう先生をやり込める事を断念した。私たちの通る道は段々|賑《にぎ》やかになった。今までちらほらと見えた広い畠《はたけ》の斜面や平地《ひらち》が、全く眼に入《い》らないように左右の家並《いえなみ》が揃《そろ》ってきた。それでも所々《ところどころ》宅地の隅などに、豌豆《えんどう》の蔓《つる》を竹にからませたり、金網《かなあみ》で鶏《にわとり》を囲い飼いにしたりするのが閑静に眺《なが》められた。市中から帰る駄馬《だば》が仕切りなく擦《す》れ違って行った。こんなものに始終気を奪《と》られがちな私は、さっきまで胸の中にあった問題をどこかへ振り落してしまった。先生が突然そこへ後戻《あともど》りをした時、私は実際それを忘れていた。
「私は先刻《さっき》そんなに昂奮したように見えたんですか」
「そんなにというほどでもありませんが、少し……」
「いや見えても構わない。実際|昂奮《こうふん》するんだから。私は財産の事をいうときっと昂奮するんです。君にはどう見えるか知らないが、私はこれで大変執念深い男なんだから。人から受けた屈辱や損害は、十年たっても二十年たっても忘れやしないんだから」
 先生の言葉は元よりもなお昂奮していた。しかし私の驚いたのは、決してその調子ではなかった。むしろ先生の言葉が私の耳に訴える意味そのものであった。先生の口からこんな自白を聞くのは、いかな私にも全くの意外に相違なかった。私は先生の性質の特色として、こんな執着力《しゅうじゃくりょく》をいまだかつて想像した事さえなかった。私は先生をもっと弱い人と信じていた。そうしてその弱くて高い処《ところ》に、私の懐かしみの根を置いていた。一時の気分で先生にちょっと盾《たて》を突いてみようとした私は、この言葉の前に小さくなった。先生はこういった。
「私は他《ひと》に欺《あざむ》かれたのです。しかも血のつづいた親戚《しんせき》のものから欺かれたのです。私は決してそれを忘れないのです。私の父の前には善人であったらしい彼らは、父の死ぬや否《いな》や許しがたい不徳義漢に変ったのです。私は彼らから受けた屈辱と損害を小供《こども》の時から今日《きょう》まで背負《しょ》わされている。恐らく死ぬまで背負わされ通しでしょう。私は死ぬまでそれを忘れる事ができないんだから。しかし私はまだ復讐《ふくしゅう》をしずにいる。考えると私は個人に対する復讐以上の事を現にやっているんだ。私は彼らを憎むばかりじゃない、彼らが代表している人間というものを、一般に憎む事を覚えたのだ。私はそれで沢山だと思う」
 私は慰藉《いしゃ》の言葉さえ口へ出せなかった。

     三十一

 その日の談話もついにこれぎりで発展せずにしまった。私《わたくし》はむしろ先生の態度に畏縮《いしゅく》して、先へ進む気が起らなかったのである。
 二人は市の外《はず》れから電車に乗ったが、車内ではほとんど口を聞かなかった。電車を降りると間もなく別れなければならなかった。別れる時の先生は、また変っていた。常よりは晴やかな調子で、「これから六月までは一番気楽な時ですね。ことによると生涯で一番気楽かも知れない。精出して遊びたまえ」といった。私は笑って帽子を脱《と》った。その時私は先生の顔を見て、先生ははたして心のどこで、一般の人間を憎んでいるのだろうかと疑《うたぐ》った。その眼、その口、どこにも厭世的《えんせいてき》の影は射《さ》していなかった。
 私は思想上の問題について、大いなる利益を先生から受けた事を自白する。しかし同じ問題について、利益を受けようとしても、受けられない事が間々《まま》あったといわなければならない。先生の談話は時として不得要領《ふとくようりょう》に終った。その日二人の間に起った郊外の談話も、この不得要領の一例として私の胸の裏《うち》に残った。
 無遠慮な私は、ある時ついにそれを先生の前に打ち明けた。先生は笑っていた。私はこういった。
「頭が鈍くて要領を得ないのは構いませんが、ちゃんと解《わか》ってるくせに、はっきりいってくれないのは困ります」


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