夏目漱石「こころ」 - 20ページ


 先生は嬉《うれ》しそうな私の顔を見て、「もう論文は片付いたんですか、結構ですね」といった。私は「お蔭《かげ》でようやく済みました。もう何にもする事はありません」といった。
 実際その時の私は、自分のなすべきすべての仕事がすでに結了《けつりょう》して、これから先は威張って遊んでいても構わないような晴やかな心持でいた。私は書き上げた自分の論文に対して充分の自信と満足をもっていた。私は先生の前で、しきりにその内容を喋々《ちょうちょう》した。先生はいつもの調子で、「なるほど」とか、「そうですか」とかいってくれたが、それ以上の批評は少しも加えなかった。私は物足りないというよりも、聊《いささ》か拍子抜けの気味であった。それでもその日私の気力は、因循《いんじゅん》らしく見える先生の態度に逆襲を試みるほどに生々《いきいき》していた。私は青く蘇生《よみがえ》ろうとする大きな自然の中に、先生を誘い出そうとした。
「先生どこかへ散歩しましょう。外へ出ると大変|好《い》い心持です」
「どこへ」
 私はどこでも構わなかった。ただ先生を伴《つ》れて郊外へ出たかった。
 一時間の後《のち》、先生と私は目的どおり市を離れて、村とも町とも区別の付かない静かな所を宛《あて》もなく歩いた。私はかなめの垣から若い柔らかい葉を※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]《も》ぎ取って芝笛《しばぶえ》を鳴らした。ある鹿児島人《かごしまじん》を友達にもって、その人の真似《まね》をしつつ自然に習い覚えた私は、この芝笛というものを鳴らす事が上手であった。私が得意にそれを吹きつづけると、先生は知らん顔をしてよそを向いて歩いた。
 やがて若葉に鎖《と》ざされたように蓊欝《こんもり》した小高い一構《ひとかま》えの下に細い路《みち》が開《ひら》けた。門の柱に打ち付けた標札に何々園とあるので、その個人の邸宅でない事がすぐ知れた。先生はだらだら上《のぼ》りになっている入口を眺《なが》めて、「はいってみようか」といった。私はすぐ「植木屋ですね」と答えた。
 植込《うえこみ》の中を一《ひと》うねりして奥へ上《のぼ》ると左側に家《うち》があった。明け放った障子《しょうじ》の内はがらんとして人の影も見えなかった。ただ軒先《のきさき》に据えた大きな鉢の中に飼ってある金魚が動いていた。
「静かだね。断わらずにはいっても構わないだろうか」
「構わないでしょう」
 二人はまた奥の方へ進んだ。しかしそこにも人影は見えなかった。躑躅《つつじ》が燃えるように咲き乱れていた。先生はそのうちで樺色《かばいろ》の丈《たけ》の高いのを指して、「これは霧島《きりしま》でしょう」といった。
 芍薬《しゃくやく》も十坪《とつぼ》あまり一面に植え付けられていたが、まだ季節が来ないので花を着けているのは一本もなかった。この芍薬|畠《ばたけ》の傍《そば》にある古びた縁台のようなものの上に先生は大の字なりに寝た。私はその余った端《はじ》の方に腰をおろして烟草《タバコ》を吹かした。先生は蒼《あお》い透《す》き徹《とお》るような空を見ていた。私は私を包む若葉の色に心を奪われていた。その若葉の色をよくよく眺《なが》めると、一々違っていた。同じ楓《かえで》の樹《き》でも同じ色を枝に着けているものは一つもなかった。細い杉苗の頂《いただき》に投げ被《かぶ》せてあった先生の帽子が風に吹かれて落ちた。

     二十七

 私《わたくし》はすぐその帽子を取り上げた。所々《ところどころ》に着いている赤土を爪《つめ》で弾《はじ》きながら先生を呼んだ。
「先生帽子が落ちました」
「ありがとう」
 身体《からだ》を半分起してそれを受け取った先生は、起きるとも寝るとも片付かないその姿勢のままで、変な事を私に聞いた。
「突然だが、君の家《うち》には財産がよっぽどあるんですか」
「あるというほどありゃしません」
「まあどのくらいあるのかね。失礼のようだが」
「どのくらいって、山と田地《でんぢ》が少しあるぎりで、金なんかまるでないんでしょう」
 先生が私の家《いえ》の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑《うたぐ》った。その後もこの疑いは絶えず私の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨《あらわ》な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えていた。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」
「私は財産家と見えますか」


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