夏目漱石「こころ」 - 12ページ
雑司ヶ谷《ぞうしがや》にある誰《だれ》だか分らない人の墓、――これも私の記憶に時々動いた。私はそれが先生と深い縁故のある墓だという事を知っていた。先生の生活に近づきつつありながら、近づく事のできない私は、先生の頭の中にある生命《いのち》の断片として、その墓を私の頭の中にも受け入れた。けれども私に取ってその墓は全く死んだものであった。二人の間にある生命《いのち》の扉を開ける鍵《かぎ》にはならなかった。むしろ二人の間に立って、自由の往来を妨げる魔物のようであった。
そうこうしているうちに、私はまた奥さんと差し向いで話をしなければならない時機が来た。その頃《ころ》は日の詰《つま》って行くせわしない秋に、誰も注意を惹《ひ》かれる肌寒《はださむ》の季節であった。先生の附近《ふきん》で盗難に罹《かか》ったものが三、四日続いて出た。盗難はいずれも宵の口であった。大したものを持って行かれた家《うち》はほとんどなかったけれども、はいられた所では必ず何か取られた。奥さんは気味をわるくした。そこへ先生がある晩家を空《あ》けなければならない事情ができてきた。先生と同郷の友人で地方の病院に奉職しているものが上京したため、先生は外《ほか》の二、三名と共に、ある所でその友人に飯《めし》を食わせなければならなくなった。先生は訳を話して、私に帰ってくる間までの留守番を頼んだ。私はすぐ引き受けた。
十六
私《わたくし》の行ったのはまだ灯《ひ》の点《つ》くか点かない暮れ方であったが、几帳面《きちょうめん》な先生はもう宅《うち》にいなかった。「時間に後《おく》れると悪いって、つい今しがた出掛けました」といった奥さんは、私を先生の書斎へ案内した。
書斎には洋机《テーブル》と椅子《いす》の外《ほか》に、沢山の書物が美しい背皮《せがわ》を並べて、硝子越《ガラスごし》に電燈《でんとう》の光で照らされていた。奥さんは火鉢の前に敷いた座蒲団《ざぶとん》の上へ私を坐《すわ》らせて、「ちっとそこいらにある本でも読んでいて下さい」と断って出て行った。私はちょうど主人の帰りを待ち受ける客のような気がして済まなかった。私は畏《かしこ》まったまま烟草《タバコ》を飲んでいた。奥さんが茶の間で何か下女《げじょ》に話している声が聞こえた。書斎は茶の間の縁側を突き当って折れ曲った角《かど》にあるので、棟《むね》の位置からいうと、座敷よりもかえって掛け離れた静かさを領《りょう》していた。ひとしきりで奥さんの話し声が已《や》むと、後《あと》はしんとした。私は泥棒を待ち受けるような心持で、凝《じっ》としながら気をどこかに配った。
三十分ほどすると、奥さんがまた書斎の入口へ顔を出した。「おや」といって、軽く驚いた時の眼を私に向けた。そうして客に来た人のように鹿爪《しかつめ》らしく控えている私をおかしそうに見た。
「それじゃ窮屈でしょう」
「いえ、窮屈じゃありません」
「でも退屈でしょう」
「いいえ。泥棒が来るかと思って緊張しているから退屈でもありません」
奥さんは手に紅茶茶碗《こうちゃぢゃわん》を持ったまま、笑いながらそこに立っていた。
「ここは隅っこだから番をするには好《よ》くありませんね」と私がいった。
「じゃ失礼ですがもっと真中へ出て来て頂戴《ちょうだい》。ご退屈《たいくつ》だろうと思って、お茶を入れて持って来たんですが、茶の間で宜《よろ》しければあちらで上げますから」
私は奥さんの後《あと》に尾《つ》いて書斎を出た。茶の間には綺麗《きれい》な長火鉢《ながひばち》に鉄瓶《てつびん》が鳴っていた。私はそこで茶と菓子のご馳走《ちそう》になった。奥さんは寝《ね》られないといけないといって、茶碗に手を触れなかった。
「先生はやっぱり時々こんな会へお出掛《でか》けになるんですか」
「いいえ滅多《めった》に出た事はありません。近頃《ちかごろ》は段々人の顔を見るのが嫌《きら》いになるようです」
こういった奥さんの様子に、別段困ったものだという風《ふう》も見えなかったので、私はつい大胆になった。
「それじゃ奥さんだけが例外なんですか」
「いいえ私も嫌われている一人なんです」
「そりゃ嘘《うそ》です」と私がいった。「奥さん自身嘘と知りながらそうおっしゃるんでしょう」
「なぜ」
「私にいわせると、奥さんが好きになったから世間が嫌いになるんですもの」
「あなたは学問をする方《かた》だけあって、なかなかお上手《じょうず》ね。空《から》っぽな理屈を使いこなす事が。世の中が嫌いになったから、私までも嫌いになったんだともいわれるじゃありませんか。それと同《おん》なじ理屈で」
「両方ともいわれる事はいわれますが、この場合は私の方が正しいのです」
「議論はいやよ。よく男の方は議論だけなさるのね、面白そうに。空《から》の盃《さかずき》でよくああ飽きずに献酬《けんしゅう》ができると思いますわ」
奥さんの言葉は少し手痛《てひど》かった。しかしその言葉の耳障《みみざわり》からいうと、決して猛烈なものではなかった。自分に頭脳のある事を相手に認めさせて、そこに一種の誇りを見出《みいだ》すほどに奥さんは現代的でなかった。奥さんはそれよりもっと底の方に沈んだ心を大事にしているらしく見えた。
十七